2011年9月28日水曜日

吉田拓郎の名曲(7)『ローリング30』「14.冷たい雨が降っている」

「冷たい雨が降っている」 作詞:松本 隆/作曲:吉田 拓郎/編曲:松任谷正隆
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ZeQHWnajTa0

中島みゆきが歌っている「空と君の間には」を彷彿させる曲。(と言っても、中島みゆきのほうがあとだけど。)

厳しい愛の歌だ。

「ふりだけふりなよ、ふられてやるさ」

「貝がらになりたいね。海の深くで眠りたい。」

「心が痛いよ。楽にしてくれ。」

9月の誰もいない海で愛を見つめている二人だけの人間。

こういうシーンに憧れる僕。

天才、松本隆の詩が拓郎の何かに火をつけた。

●吉田拓郎の名曲(7)『ローリング30』「9.外は白い雪の夜」

「9.外は白い雪の夜」 作詞:松本 隆/作曲:吉田 拓郎
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=r6-QoJefRRQ

吉田拓郎の失恋の歌、No.1だ!!

こうして、僕たちは恋人と別れてゆくのだ。

男の気持ちと女の気持ちが交互に唄われている。

失恋を予感した女性の歌詞が泣かせる。

紅白歌合戦でも歌われた拓郎の名曲中の名曲だ。

この歌を聞かずして、吉田拓郎を語るな!


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●吉田拓郎の名曲(7)『ローリング30』 6.「ハートブレイク・マンション」

6.「ハートブレイク・マンション」 作詞:松本 隆/作曲:吉田 拓郎
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=veR-suqHDO8

詩の朗読から始まる純愛路線の歌からヒューマンタッチの歌へ。

ただそれだけなのに、人生を感じさせるのは、松本隆の才能だ。

様々な人生を唄うことで、自分の人生を振り返えさせられう歌だ。

都会の人生って、こんなのかもね。

2011年9月26日月曜日

●吉田拓郎の名曲(7)『ローリング30』4.「英雄」

●吉田拓郎の名曲(7)『ローリング30』4.「英雄」 作詞:松本 隆/作曲:吉田 拓郎/編曲:松任谷正隆
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=OY8Sz_IH7Fg

エルビス・プレスリーを唄った歌。

「ひとつの時代が終わる時、ひとつの墓ができるのか」・・・その通りだと思う。

時代を作った男が時代を作った男を唄うという。

英雄は誰にとっても必要だ。

ロックンロールは死んだのか?





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2011年9月21日水曜日

日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●吉田拓郎の名作集(7)『ローリング30』(1)

『ローリング30』(ローリングサーティー)は、1978年11月21日に吉田拓郎がリリースしたオリジナル・アルバムである。

32歳の時の作品、1970年代最後のオリジナルアルバムである(2枚組)。

ほぼ全曲の作詞を松本隆に依頼し二人で箱根の山に篭り、一人の作詞家との完全な共作がどれ程のものになるのか、という試みを行っている。


1.ローリング 30 作詞:松本 隆/作曲:吉田 拓郎
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=rTdXsMyqNDU

人生に流されまいとする拓郎の姿を松本隆が見事に詩にしてくれた。

この曲を聴いた時、僕はまだ18歳だったが、30歳って、そんなに大変なのかと思った。

でも、これで「岡本おさみ」に続くゴールデンペア「松本隆ー吉田拓郎」ができあがったと確信した。

僕の応援歌でもある。




●吉田拓郎の名作集(7)『ローリング30』 2.爪 作詞:松本 隆/作曲:吉田 拓郎
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=FM2B6UkugM4

拓郎の失恋の歌の中でも3本の指に入る、と僕は思う。

辛い歌だ。

「別れを切り出す一瞬前の夜の背中が怖いんです。」・・・う~~ん、松本隆は天才だ。

「君が磨いたピカピカの床、愛がすべって自業自得さ。」・・・怖いくらい、恋愛の本質を唄っている。

大人の恋の終わりの歌。

心が「ギュッ」となる。



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2011年9月19日月曜日

日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●吉田拓郎の名作集(5)『明日に向かって走れ』

1975年

CBSソニーの拓郎が、ポリドールの井上陽水、エレックの泉谷しげる、ベルウッドの小室等と共にフォーライフ・レコードを発起した。
ニューミュージックという言葉はこれを機に一気に広まっていった。

8月2日、3日、静岡県掛川市のつま恋多目的広場で「吉田拓郎・かぐや姫 コンサート インつま恋」を敢行。

行ったぞ~!「朝までやるぞ~!」



●吉田拓郎「隣の町のお嬢さん」フォーライフ移籍、第1弾。
      ↓
http://www.youtube.com/watch?v=NiawgdkboPI

一人目の奥さんと離婚し、その原因となった浅田美代子(二人目の奥さん)に贈ったと言われている曲。
分かるような気がする、恋愛路線、まっしぐらなメルヘンタッチの歌です。



1976年

●5月、アルバム『明日に向かって走れ』発売。オリコン3週連続1位。


1.明日に向かって走れ
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=0QoH5JVWP9c

多感な高校時代を過ごした僕は、徹夜で、何度もこの曲を聴いた。

拓郎の新境地を開く名曲だ。

と言っても、人生まっしぐら路線なんだけれどね。



2.一つの出来事
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=XZOn4q1NXBA (拓郎のものが無かったので、素人のカバーです。)



3.水無し川
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Kgj7KVbNAEA

作詞:松本隆 かまやつひろしに提供した曲のセルフカバー。

演歌調の曲ですが、松本隆とのコンビを開始した初期のものです。



4.僕の車
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=BlM57U-a9Ms

拓郎の曲には「マークⅡ」という名曲(デビュー曲)があるけれど、自動車の名前が出てくる歌、その2です。

ホンダ・シビックが歌詞に登場する。 シビックのCMに使われることはなかった。


5.我が身可愛いく
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=oOLc3GeMIfM

ときどきある、ロック調の、風刺たっぷりの拓郎節です。


6.どうしてこんなに悲しいんだろう
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=W8Xual6RQKc

アルバム『人間なんて』に収録された曲のリメイク。

いつ聞いても名曲だ。泣けてくる。



7.我が家
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Yu78RlpQ-wA  (拓郎のものが無かったので、素人のカバーです。)

古典調の静かな佳作です。

さすがにこれ位マイナーな曲になると拓郎のオリジナルはYouTubeにもアップされていないね。




8.風の街
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=y7zsB2MBV2E

作詞:喜多条忠 1975年、山田パンダに提供した楽曲のセルフカバー。
山田版はTBS系ドラマ『あこがれ共同隊』主題歌。

「原宿」あたりを唄った歌です。



9.午前0時の街
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=1B2LP9m6sms

「のんだくれ」シリーズですね。



10.ひとり想えば
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=VgmN0YwRrM8 
いい歌だな。

人生を切り取っていく歌って、拓郎には多い。「暮らし」とか。あとで出てくる「悲しいのは」とか。



11.明日の前に
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=pVKbIMITQrg

1975年、堺正章に提供した楽曲のセルフカバー。

確かに「マチャアキ」らしい歌だ。
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=91_sxQQrBQc



12.悲しいのは
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=VJOfDkLmLiU&feature=related

作詞:岡本おさみ

こういう小作品系が案外、いいのが吉田拓郎だ。



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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作(2)

日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●吉田拓郎の名作集(5)

1974年12月 「今はまだ人生を語らず」をリリース。

『元気です。』『伽草子』に続き3作連続アルバムチャート1位を獲得。

このアルバムから音楽の質がぐっとあがる。

「元気です」以来の変革です。


1.ペニーレインでバーボン
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=1rUF1ikCz5Q

お馴染みの「お酒」に関連する歌です。

僕は下戸なので、全部が分かるわけないが、それでも、この曲のやるせなさは分かっている。



2.人生を語らず
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=7GADfepMJ7o

この曲を出したのが20歳台後半なので、「まだ人生を語らず」というのは分かる。

よくよく聞いてみると、筋があるようでない歌詞になっている。

カッコいい歌詞なので許すが。

この曲からは随分と勇気をもらいました。



3.世捨人唄 作詞:岡本おさみ
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=T62-U5ErF5I

森進一に提供した演歌風の歌。

拓郎が歌ってもいいが残念ながらYuoTubeにはアップされていなかった。



4.おはよう 作詞:岡本おさみ
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=t5ekvT-13M0

この曲は大好きだな。

このアルバムの中では一番好きかもしれない。

「おはようー!死んだふりはやめなさい」というフレーズが最高だ。



5.シンシア
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Odb4vjGu514
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=C4r00gqYymo

「シンシア」とは南沙織さんのこと(写真家、篠山紀信の奥さん)。

ムッシュかまやつさんと歌っていると、拓郎の歌唱力の無さが分かって面白い。

恋人に贈る歌としては最高だよね。



6.三軒目の店ごと
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Ot13BEK6XQ0

お馴染み「酔いどれ」の歌です。

アルバム収録の際には自宅録音された。



7.襟裳岬 作詞:岡本おさみ
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=JXefHEmS1e4

森進一に提供して、その年のレコード大賞まで取ってしまった歌。

拓郎の襟裳岬もさっぱりとしていて、それはそれでよい。

岡本おさみとの「さすらい」シリーズの結晶です。



8.知識
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=6cOVg7odB1E

世の中をひにくった、拓郎らしい曲。



9.暮らし
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=gxo8aVssn1M

TBSに出演した時の画像ですね。

人生のやるせなさを唄っていて、アルバムタイトルの「人生を語らず」にぴったりだ。




10.戻ってきた恋人 作詞:安井かずみ
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=0r2h-E3KFuc

「猫」に提供した歌。

小気味よく、聴いていて楽しくなる失恋の歌だ。




11.僕の唄はサヨナラだけ
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=xMr0ABiBfjc

いいなぁ、この歌。

拓郎にしては複雑なメロディだけど。

最初の奥さん(四角佳子)と離婚したあとの、拓郎の心情を表しているようで、私小説のような歌だ。

かっこいい歌詞が並んでいるんだよなぁ。



12.贈り物
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=JovKHwjxqCA

これまた切ない歌になっている。

この歌詞の中の「きみの好きだった「雪」は誰かに唄ってもらえばいいさ」というところが泣ける。

ハーモニカもいいし、歌詞もいい。

拓郎の失恋の歌の中は5本の指に入るね。



■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作(2)■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作(2)

●吉田拓郎の名作集(4)LP「伽草子」

1.からっ風のブルース 作詞:岡本おさみ 

YouTubeに無かったので残念だが、とてもエロティックな曲だ。




2.伽草子 作詞:白石ありす 
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=YLlqzEyqXws


題名どおり、「おどき話」のような曲になっている。
不思議な曲だ。




3.蒼い夏 作詞:岡本おさみ  吉田拓郎のセルフカヴァーアルバム『Oldies』(2002年3月27日)にも収録。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=XauPcIAeifk

この曲を聴くと物憂い中学2年生の夏休みを思い出す。

ガールフレンドが僕に唄ってくれた。

僕も拓郎と一緒で「泳げない」んだけれどね。

岡本おさみらしい、詩です。




4.風邪
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=rIYoWqFd678

こちらの曲を聴くともっと物憂げになる。

拓郎の「憂鬱感」が伝わってくる。(YouTubeの画像はイマイチだけどね。)



5.長い雨の後に
 ↓
http://www.youtube.com/watch?v=u4tky7aG6EU

拓郎の「詩」の朗読から始まる曲。

「よしだたくろう オンステージ第2集」の中でもギターをつまびきながら、詩を読んでいるものがある。

で、この曲は詩の朗読が終わると、突然、拓郎の「叫び」が始まる。

この頃から、最初の奥さんの「四角佳子(よすみけいこ)」とうまくいかなってくる、そんな時期を感じさせる曲になっている。

もがく苦しんでいるんだね。



6.春の風が吹いていたら 作詞・作曲:伊庭啓子
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=mHId4IeRtD0

で、この頃から夫婦生活がうまくいかなくなってきた奥さんとのデュエットです。
ラジオの番組の中で、「この曲をおケイと歌っておいてよかった。離婚したけれどさ。」と言っていた。

それはともかく、爽やかな名曲だ。

その後、奥さんもソロで出している。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=e8XJkSgEBf8




7.暑中見舞い 作詞:岡本おさみ 
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=SH_au1zt4Ss

明るくてポップな曲です。
岡本おさみらしく、日常をさりげなく切り取りながら、人生のひだをうまく作詞している。



8.ビートルズが教えてくれた 作詞:岡本おさみ
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=wEUiBR8v318

いや、それにしてもYouTubeの拓郎が若くて、「かわいい」なぁ。
若者の反抗期を唄った歌ですね。


 
9.制服 作詞:岡本おさみ 
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=rhUsXHitC_M

中島みゆきの「ファイト」を彷彿させる都会に集団就職してきた高校生の歌です。

大学時代の友人がヨッパライながら、この曲を弾いてくれた。
拓郎よりもうまくて、僕は初めて、この曲のよさをその時しった。



10.話してはいけない 作詞:岡本おさみ
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=_ZJANZcomcI

YouTubeのひどい音源ですが、小室等とデュエットしている貴重な画像ですね。

男と女のサガを唄ったものです。


 
11.夕立ち 作詞:岡本おさみ 
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=dsPf1CAZYls

う~~む、この頃の岡本おさみは日常を作詞させたら、随一だね。

井上陽水にも「夕立」という曲があるが、拓郎と陽水の世界観が際立って分かるので面白い。



12.新しい朝(あした)
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=kRgsQj9tvGU

トランペットのファンファーレから始まり、一転、フォーク調になる。

拓郎の当時の心境をよく表しているね。


(このアルバムが発売された時、「吉田拓郎の金沢事件」というのがあり、「暴行された」と拓郎が女子大生に訴えられた。その後、それは女子大生の狂言とわかり、不起訴になるが、様々な波紋をマスコミに投げかけた。)





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●吉田拓郎の名作集(2)LP「元気です」のB面より

●吉田拓郎「高円寺」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Ok_sRk6JyZ8

一言「変わった曲」だ。

ひとりでデュエットしている。

僕が大学のために状況して感激したことが2つある。

それは、1つは拓郎作曲の「地下鉄に乗って」に出てくる丸の内線に乗ったことと、この「高円寺」を電車で通過したときだ。



●吉田拓郎「こっちを向いてくれ」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=MfNwRpl6Pws

岡本おさみの作詞。

ほのかで複雑な恋愛歌だ。

無茶苦茶な「字余り」の拓郎らしい曲だ。



●吉田拓郎「まにあうかもしれない」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=N1iOFAWkopE


後に「まにあうかもしれない」と「祭りのあと」を組み合わせた曲も歌っている。



●吉田拓郎「リンゴ」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=23gi3srK1z8

日常のひとこまをただ切り取っただけの風景なのに、なんとなく人生を感じさせる「岡本おさみ」らしい歌詞だ。



●吉田拓郎「また会おう」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=-MuTwBIAS0w

拓郎の独特のシャウトした歌声が特徴的な歌だ。

この曲を拓郎はNHKの歌番組で歌っていた。

よくNHKも許したものだ。というか、一度、NHKは拓郎を落としたことがある。

ところが、あれだけフォークソングが流行ったものだから、今度はNHKから拓郎に出演依頼した。その時の拓郎の出演条件は3曲、唄わせてくれること、だった。

その同じNHKの歌番組で拓郎がプロデュースしていた「猫」も「雪」を唄っていた。



●吉田拓郎「旅の宿」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=q4_UAIFq9hk

「結婚しようよ」に続いてシングルとして出したのが、この「旅の宿」。

新婚旅行の歌だ。

まるで、拓郎が書いたような歌詞だが、これまた岡本おさみの作詞。

シングルバージョンより、こちらのLPバージョンのシンプルなほうが僕は好きだ。
(こちらなら、僕もアルペジオでギターが弾けたし)

中学校の「給食」の時間に放送部がこの曲をかけていたことを今でも鮮明に覚えている。



●吉田拓郎「祭りのあと」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=lFgDAc7o-xc

う~~ん、名曲だな。

「祭りのあとの寂しさは死んだ女にくれてやろう」というフレーズにしびれた。

拓郎自身も好きな曲で、何度かアルバムに収録している。



●吉田拓郎「ガラスの言葉」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=EERvPUkZB8Q

「小室等と六文銭」にいた及川恒平(出発の歌の作詞担当)が書いた詩だ。



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日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●吉田拓郎の名作集(2)LP「元気です」のA面より

吉田拓郎のLP「元気です」(1972年)

オリコン・シングルチャートで1位を獲得した「旅の宿」、ザ・モップスに作品提供した「たどり着いたらいつも雨降り」が収録されている。

オリコン・アルバムチャートで14週連続(通算15週)1位を獲得するなど、1972年の年間第2位及び1973年の年間第4位に輝いた。

1986年にCD化された。1990年のCD選書のほか、2006年にも再リリースされている。


【A面】

●吉田拓郎「春だったね」
    ↓
tp://www.youtube.com/watch?v=HTqILfzWrvo

LP「元気です」に入っていた1曲目がこれ。

僕が最初に買ったLPで、ステレオの針を落としたら、この曲が流れてきた。
それまで歌謡曲に慣れていた耳に新鮮な「字余り」の曲。
わざと語尾をふてくされて歌う方法(のちに知ったが、拓郎はボブ・ディランの「風に吹かれて」を意識して唄ったらしい。)

早口で、唄っているのは日常のささいなこと。この曲で僕は拓郎の熱狂的なファンへの道を走ることになる。

●ボブ・ディラン「風に吹かれて」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=vrQ4saKGI5k


●吉田拓郎の「風に吹かれて」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=9fQn1MAgriw



●吉田拓郎「せんこう花火」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=dCRzxERXMTo



●吉田拓郎「加川良の手紙」 (つじあやの)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=dKmJ9THU2FE

「教訓1」で知られているフォークシンガーの「加川良」が作詞したものに拓郎が曲をつけている。

この曲で僕は「クリント・イーストウッド」を知った。

創作の経緯について、拓郎は「加川良がウチに遊びに来て、彼女に手紙を出したいが恥ずかしくて出せないと言うから、俺が歌にしてやった」とコンサートなどで説明している。

手紙の相手の彼女とは拓郎の最初の妻・四角佳子との説もあるが加川の話では違う。

レコーディングで曲が足らなかった拓郎が切羽詰まって加川に電話してきて「余った曲ないか?」と言うが、自身も精いっぱいで曲はなかった。

しかし加川には「当時の外国の歌にはよくあった手紙の文面にそのままメロディを付けて曲にするというアイデアをやってみたい」という構想があり、書き留めていたものをレコーディングスタジオに持って行くと、拓郎がその場でメロディを付けてささっと仕上げたという。

『元気です。』は大ヒットしたため、作詞者としてクレジットされている加川に多額の印税が入ったと言われている。

また曲のタイトルにも自身の名前が入ったため、人から「あんたがあの歌の人?」と今でもよく言われるという。



●吉田拓郎「親切」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=1QElvZ0qLJM



●吉田拓郎「夏休み」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=YcYPZyopknE


叙情度No.1の名曲。

歌詞に出てくる「姉さん先生」とは拓郎の小学校時代の担任の先生を言っているらしい。



●吉田拓郎「馬」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=EJFHK_1fKck

笑えるぞ。

「今日までそして明日からを馬が歌っている」というところが、何故かおかしい。



●吉田拓郎「たどり着いたらいつも雨降り」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=zViIm9FrLaQ

鈴木ひろみつがいた「モップス」に提供した名曲中の名曲。

うしろに流れているバンジョーは途中でミスをしていると、ラジオで拓郎が言っていたけれど、僕には分からない。

シンバルを叩く音も聞こえるが、小太鼓とシンバルは拓郎が叩いている。

拓郎がアマチュア時代に作った曲「好きになったよ女の子」の歌詞をかえたものである。

1972年にザ・モップスに提供しヒットしたこともあって、その後も子供ばんど、氷室京介、THE POGO、山崎ハコ、和田アキ子、ダウンタウンウンナンバンドらがカバーしたり、ロック系のバンドによくライブで演奏される。

拓郎の原曲は「たどり着いたらいつも雨ふり」表記だが、モップス版は「たどりついたらいつも雨ふり」で、その後のカバーもこちらの表記が多い。

2008年には、大友康平が選曲して出した70年代日本歌謡曲のカヴァーアルバム『J-STANDARD70's』にも収録された。



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2011年9月17日土曜日

日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●吉田拓郎。「結婚しようよ」、「人間なんて」、「どうしてこんなに悲しいんだろう」

吉田拓郎。

日本のシンガーソングライターの草分け的存在である。

マイナーな存在だったフォークとロックを一気に日本の音楽シーンのメインストリームに引き上げ、また大規模ワンマン野外コンサート、ラジオの活性化、コンサートツアー、プロデューサー、レコード会社設立など、さまざまな新しい道を開拓したパイオニアとして日本ポピュラーミュージック史における最重要人物の一人である。

「フォークソングの貴公子」とか「和製ボブ・ディラン」等とも呼ばれた。

僕の中学時代は、吉田拓郎、一色だった。

吉田拓郎を最初に知ったのは、中学1年の時に、その時のガールフレンドが僕の隣で「僕の髪が肩まで伸びて~、君と同じになったらぁ~、約束通り、町の教会で結婚しようよ~♪」と鼻歌感じで歌ったのが最初だった。

その後、ラジオの深夜番組はもちろんのこと、テレビでも「結婚しようよ」が流れ始めた。


●吉田拓郎「結婚しようよ」(1972年)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=qT4nQLeXhmc


「お~~!面白い。自分のことを自分で作詞、作曲して歌を唄っていいんだ~!」と思わせてくれた。

僕はすぐにお小遣いを持って、村に一軒の電気屋さんに走り、「元気です」という吉田拓郎のアルバムを買った。

この「元気です」というアルバムは僅か1ヶ月間で40万枚を売り上げるというシングル並みのセールスを記録、オリコンアルバムチャートで14週連続(通算15週)1位を独走しアルバム・セールス時代の先鞭をつけた。

しかし!!

吉田拓郎はテレビのヒットソング番組への出演を拒否!!

その行為そのものが、若者の(僕の)心をつかんだ。

ちなみに、この「結婚しようよ」のバックに流れいてるハモンドオルガンは松任谷正隆(ユーミンの旦那)だ。



●吉田拓郎「人間なんて」(1971年)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=1QoEcK80p0Y

吉田拓郎の「元気です」を買って、すっかり「拓郎熱」に浮かされた僕はバスで長岡市内の大きな電気屋さんまでいき、その当時発売されていた吉田拓郎の全てのアルバムを購入。

中学1年生の少年にとって、驚愕したのが、この「人間なんて」だ。

噂によると、吉田拓郎は「中津川フォークジャンボリー」で、この「人間なんて」を延々2時間も歌ったということを「ヤング・フォーク」という雑誌や「ヤング・ギター」という雑誌で知る。

その4年後、静岡県掛川市のつま恋で「吉田拓郎、かぐや姫、オールナイトコンサート」(1975年)に出かけ、生で、「人間なんて」を自分も声を限りに叫んだ。(多分30分ぐらい。)

さらに、その4年後の1979年に愛知県の篠島という離れ小島で一晩のコンサートがあり、それにも参加。

帰りの船の音が全て「人間なんてララララララ~♪」と聞こえた。



●吉田拓郎「どうしてこんなに悲しいんだろう」(1971年)

上記の「人間なんて」のアルバムに入っている、吉田拓郎らしい大傑作。(初期の吉田拓郎の中では、僕はこの歌が一番好きだ。)
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=b3gPkhmSibk



●吉田拓郎「落陽」

吉田拓郎のコンサートでは今も昔も欠かせないのが、この「落陽」。(どうでもいいのだが、僕が歌える「カラオケ」はこの曲だけだ。)
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=34-GwKl5JwU



●吉田拓郎「アジアの片隅で」

吉田拓郎中期の大傑作。

この曲は武道館で初めて聴いたのだけど、鳥肌が立った。
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=-OLX49L8oFg



●吉田拓郎「永遠の嘘をついてくれ」

中島みゆきの作詞・作曲によるものだが、まるで拓郎が作ったのかのように見事に「字余り」の曲で、「酔っぱらい」が出てきて、「日本」が出てくる。

最近の曲の中では、僕が最もよく聴いている曲です。(中島みゆきバージョンも含めて)
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=O9Bsp72aUbM




吉田拓郎のその他の作品は「特集」をご覧ください(まだ、そのページを作ってないけれど、作成予定。)



■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作

日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●アンドレ・カンドレ(井上陽水)「傘がない」、「心もよう」、「氷の世界」(おまけに石川セリも)

1969年・・・アンドレ・カンドレ(井上陽水)がデビュー。

ラジオから奇妙な声で流れてきた「さびしさのつれづれに~~♪」(心もよう)。

あれよあれよという間に、ヒットチャートを上昇。

歌謡曲をなぎ倒し、1位に。

「心もよう」が入っているアルバム「氷の世界」は日本のレコード史上、初の「ミリオンセラー」(100万枚売上)になった。

フォークのジャンルじゃなくて、歌謡曲も演歌も含めて、初めての「ミリオンセラー」なのだ。

当時のフォークソングの過熱ぶりが分かる。

ここに来て、レコード会社は「フォークはカネになる」とばかりに、有象無象のフォークシンガーを輩出した。


1970年代には吉田拓郎と双璧をなし、フォークソング界あるいはニューミュージック界を牽引した。

1973年発売のアルバム『氷の世界』は、アルバムとして日本市場で初のミリオンセラーを記録する。

その後も1984年のアルバム『9.5カラット』が売り上げ100万枚、1999年のベストアルバム『GOLDEN BEST』は売り上げ200万枚を達成するなど、長いキャリアを通して高い人気を維持し、日本ポピュラーミュージック界の最重要人物の一人として活躍し続けている。

デビュー前からビートルズの熱狂的なファンである。

コンサートやテレビ番組の中でしばしばビートルズの作品を歌うほか、ビートルズの影響は楽曲の随所に見られる。

2人目の妻である石川セリとの間に一男二女がおり、長女は作詞家・歌手の依布サラサである。

「石川セリ」も僕は大好きだ。



●井上陽水「傘がない」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=E4ZrwPQqxxA

なんて、暗い曲なんだ、というのが、僕の最初の印象だった。

若者の「刹那主義」をよく反映している。




●井上陽水「心もよう」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=E4ZrwPQqxxA


僕の井上陽水の初体験は、この「心もよう」だ。

独特な世界を叙情的に歌い、歌唱力がムチャクチャあるフォークシンガーだな、と思った。

この頃から、自分で作詞、作曲し、演奏して歌まで歌う、というフォークシンガーのスタイルに対する「シンガー・ソング・ライター」というネーミングも定着してきた。

で、この「心もよう」に戻るけれど、中学2年の時に、1学年上の女子生徒からバレンタインにチョコとマフラーと、この「心もよう」の歌詞が書かれたラブレターをもらった。

僕にも、そういう時代があった、というだけの切ない思い出なのですが・・・・・・。



●井上陽水「氷の世界」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=YipURaQP-IY


僕のとっては、井上陽水は、この「氷の世界」が、そのまま井上陽水の世界観になっている。

聴けば聴くほと、不思議な歌詞だ。

「りんご売り」なって聞いたことある?

でも、調子のいいロック調の大好きな音楽だ。

聴いていると元気が出てくるぞ。




●井上陽水の奥さんの石川セリの「ダンスはうまく踊れない」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=tVtcK-xmXto


作詞・作曲は井上陽水。


ついでに、石川セリということ絶対に外せない曲がある。
   ↓
●石川セリ「『つぶやき岩の秘密』 主題歌 「遠い海の記憶」 」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=53Wkwr55QGs

NHK少年ドラマシリーズの中でも屈指の名作『つぶやき岩の秘密』の主題歌。

いや~~~!懐かしいな。中学校の同級生たちの顔まで浮かんでくるよ。


さらに、さらに石川セリということ絶対に外せない曲がある(その2)。
   ↓
●石川セリ「八月の濡れた砂 」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=En26n8uDN0s



井上陽水のその他の作品は「特集」をご覧ください(まだ、そのページを作ってないけれど、作成予定。)



■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作

日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●RCサクセション「ぼくの好きな先生」、「宝くじは買わない」、「LOVE ME TENDER」

RCサクセションのファンに怒られるかもしれないけれど、僕にとってRCサクセションは「フォークグループ」だ。

初期のRCサクセションには「三浦友和」が入っていた。

忌野清志郎がよく言っていた自慢話に「三浦友和にギターを教えたのは俺だ」というのがある。

僕の今の住まいの近くに「たまらん坂」があり、そこの石垣に忌野清志郎の落書きがある。

「多摩蘭坂」という曲も作っている。
  ↓
http://www.youtube.com/watch?v=-FzYxaFp4Es


忌野清志郎が亡くなった時と一周忌に、その「たまらん坂」に多くの若者が集まっていた。



RCサクセション(アールシーサクセション、RC SUCCESSION)は、日本のロックバンド。

忌野清志郎をフロントマンとし、「King of Rock」「King of Live」の異名をとるなど日本語ロックの成立や、現在日本で普通に見られるロックコンサート、ライブパフォーマンスのスタイルの確立に大きな影響を及ぼした。

実際、RCサクセション (以下、特段の理由がない限り「RC」と略す) に影響を受けたと公言するミュージシャンは非常に多い。

また、彼らが発信するファッションや言動などは音楽業界にとどまらず若者の間でサブカルチャー的存在とまでなり、1980年代を中心にまさに時代を席捲した。

その後、1991年より無期限の活動休止状態に入ったまま復活することはなく、2009年5月2日に忌野が癌性リンパ管症のため死去した。


1970年、「宝くじは買わない」で東芝音工(現EMIミュージック・ジャパン)よりシングルデビュー。

1971年、RCが活動拠点の一つとしていた渋谷のライブハウス「青い森」で当時フォークグループ古井戸として活動していた仲井戸麗市と出会う。

1972年、ラジオ番組「ハロー・パーティ」「バイタリス・フォーク・ビレッジ (後に、『ライオン・フォーク・ビレッジ』に改題)」 などへの出演を始める。

3rdシングル「ぼくの好きな先生」がヒット。

1stアルバム「初期のRCサクセション」をリリース。

1978年、春日がメンバーとして参加し、フォーク形態からロック / R&B形態へとバージョンアップされる (当時は、その衝撃の大きさからマスコミでは「パンク・ロック」と評されることが多かった)。

さらに、新井田、仲井戸が正式に加入し、RCの黄金期を形成するバンドの基礎が完成する。

忌野は髪を短く切って逆立て、派手な衣裳にどぎついメイクをしてステージに出るようになる。


●RCサクセション「宝くじは買わない」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=7CnGsKTHtNw


●RCサクセション「ぼくの好きな先生」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ZHSnb5XsYDM (デビュー当時)

     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=AA9B0I0aRe4&NR=1 (その後の姿で)



この独特な歌声と素朴な歌詞がラジオから流れてきて、僕は驚いた。

なんて素敵な奴なんだろう、と。

たまたま、僕が通っていた新潟県立柏崎高校の美術に先生は女性なのだが、ヘビースモーカーで、よくタバコを吸いながら、絵の採点をしていたので、この「僕の好きな先生」と重なった思いでがある。
(こちらは、「おじさん」ではなく「おばさん」だったのだが。)


その後は、僕の前に現れなかった初期のRCサクセションだったが、次に僕の前に現れたRCサクセションはギンギンにロックバンドの変身していた。

1978年当時だ。


活動拠点としていた「青い森」「渋谷ジァン・ジァン」などのライヴハウスで、古井戸、泉谷しげるらと親交を深める。

泉谷は当時のRCのことを「RCは凄まじかったね。アコースティックギターのリズム隊でありながらロックだったわけよ。ウッドベースなんかスリリングでさ、すんげえソウルフルなんだよ」と評している。


忌野が作詞・作曲した「指輪をはめたい」を元にして、井上陽水と「帰れない二人」を共作。

もう1曲「待ちぼうけ」を共作し、この2曲が収録された井上のアルバム『氷の世界』 (1973年) がミリオンセラーとなる。



●忌野清志郎&井上陽水「帰れない二人」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=0USYCP6VWv4



●忌野清志郎&井上陽水「待ちぼうけ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=nszrKQXe2ro





今年になってまさに脚光を集めた「反原発」の歌がある。

作成した当時、RCサクセションは東芝EMIからレコードを出していたけれど、その親会社である東芝は「原発」を作っていた。(福島原発も東芝の製造だ。)

そのため、親会社からクレームがつき、レコードが発売されなかった。

その時、新聞広告に「素晴らしすぎるレコードのため発売中止になりました」というコピーが載った。

1988年、東芝EMIより発売予定だったシングル「ラブ・ミー・テンダー」とアルバム『COVERS(カバーズ)』が、収録曲の歌詞の問題で発売中止となる。

同シングルとアルバムは結局古巣キティレコード(現ユニバーサルミュージック)から発売され、RCとして初のチャート1位を獲得する。


●忌野清志郎「LOVE ME TENDER」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=7E6huKlEjl0


RCサクセションと忌野清志郎のその他の作品は「特集」をご覧ください(まだ、そのページを作ってないけれど、作成予定。)




■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作

日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●ビリーバンバン「白いブランコ」、「さよならをするために」、「また君に恋してる」

菅原孝・進の二人による兄弟デュオであるビリーバンバン。

まるで高校生のフォークサークルが出てきたような清潔感あふれるフォークデュオだ。

1966年に当時青山学院大学の学生であった進が友人達四人組のバンドとして結成。翌年メンバーチェンジが行われ、孝とパーカッションの中野光雄(後のせんだみつお)の三人組のバンドとなる。

その頃から、アマチュアバンドに物凄い腕前の持ち主がいるとの噂が音楽業界関係者の間に広まり、浜口庫之助の指導を受け、紆余曲折を経てビリーバンバンは孝と進による兄弟デュオとして、「白いブランコ」でメジャーデビュー、20万枚を超える売上となり、一躍フォークシンガーの代表的存在として人気を得る。

1972年、テレビドラマ『三丁目4番地』(日本テレビ)の主題歌である「さよならをするために」が約80万枚の大ヒット、その年の『第23回NHK紅白歌合戦』にも出場。

2009年、坂本冬美がビリーバンバンの「また君に恋してる」をカバーし、ヒット。

第51回日本レコード大賞では優秀作品賞を受賞。

第60回NHK紅白歌合戦の歌唱曲にも選ばれる。


●ビリーバンバン「白いブランコ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=DO2mKlfmMZc



●ビリーバンバン「さよならをするために」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=aAx2guI24IY

この曲は新鮮だったなぁ。作詞は石坂浩二・・・本当に多彩な人だよね。



●ビリーバンバン「また君に恋してる」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=7G1qeNWBPkU

この曲は名曲だよね。フォークと呼んでもいいし、演歌と呼んでもいい。

音楽の垣根を越えての名曲だ。


実は、坂本冬美にフォークに匂いを見出したのは、忌野清志郎である。

ある放送局の喫茶店で、営業に来ていた坂本冬美の声の美しさとうまさに驚き、そのまま1991年に細野晴臣、忌野清志郎とHISを結成。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=B7aKAKPIMNo




■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作

日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●高田渡「自衛隊に入ろう」(1968年)

1960年代後半に、遠藤賢司、南正人、金子章平(後に音楽プロデューサーとして活躍)、真崎義博(ボロディラン)らと東京でアマチュアシンガーの集団「アゴラ」として活動。

1968年第3回関西フォークキャンプ(8月9日-11日、京都・山崎「宝寺」)に参加。

1960年代末、京都に拠点を移す。高石ともや、岡林信康、中川五郎、早川義夫、加川良、岩井宏らと関西フォーク・ムーブメントの中心的存在となる。

1969年にURCレコードから五つの赤い風船とのカップリングアルバムでデビュー。

また後に、京都のひがしのひとし、古川豪らと親交を深める。

全日本フォークジャンボリーには第1回から参加。また第2回ではURC関連の出版社にいた加川良をステージ上に引っぱり出し、フォークシンガーとしてデビューさせる (後にステージ上に引っぱり出したのは演出であり、フォークジャンボリーで加川をデビューさせるのは予定されていたことだと加川によって明かされる)。

弾き語りと対話形式の『汽車が田舎を通るそのとき』をリリース。

キングから、大瀧を除くはっぴいえんど(細野晴臣、鈴木茂、松本隆)を従えた『ごあいさつ』をリリース。

この『ごあいさつ』には、高田の代表曲でシングルカットもされ、後に真心ブラザーズがカバーした「自転車にのって」が収録されている。



●高田渡「自衛隊に入ろう」を唄い、観客に衝撃を与える。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=XFRkB3mpqD8



冗談のようだが、この「自衛隊に入ろう」を本物の『自衛隊』が広報・隊員募集に使おうとした。

あやうく本採用される前に「自衛隊」を皮肉った歌であることが上の人に伝わり、採用されなかった。(お互いによかったね。)




●高田渡「値上げ」
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=ngcIIpT5wxs


日本中が高度成長でインフレの時代を象徴するような歌だ。(笑える。)



●詩人三木卓の名作である「系図」をフォークソングにした。(しんみりといい歌だ。)
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=vbEbPbQ5RMc

本当に高田渡も「酒飲み」で、56歳という若さで亡くなった。


●高田渡には、こういう「ほのぼの」とした「私小説」ふうのフォークソングが多い。

「自転車にのって」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Bn5uzJa8twU



●高田渡「生活の柄」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=XEdWP-EkNwc


生活の匂いがいっぱいのフォークソングなのだ。




■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作

日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●岡林信康「友よ」(1967年)

岡林信康は「フォークの神様」の愛称で知られる。

高石ともやに出会いギターを始める。

この岡林信康の登場で、日本のフォーク界は急激に「反戦」「反体制」につき進む。


1968年、京都で行われた第3回フォークキャンプに参加。

同年9月、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビュー。

翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」「くそくらえ節」「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。

その内容から、多くの曲が放送禁止となる。

一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより1969年9月、3ヶ月余りのスケジュールを残したまま一時蒸発。

書き置きは『下痢を治しに行ってきます」。



1970年4月、コンサートに再登場、「ごめんやす。出戻りです。お互い堅くならんといきましょう」と話した。

この時期からボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だった伝説のフォーク・ロックバンド『はっぴいえんど』(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)をバックに展開し始める。


「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表、喝采を浴びて東京に移り住み、一夫一婦制ナンセンスを唱えて自由なヒッピー風生活をするが行き詰る。

1971年の日比谷野外音楽堂での「自作自演コンサート 狂い咲き」および、「第3回中津川フォークジャンボリー」を最後に、表舞台から再び姿を消す。


●学生集会で必ず歌われた「友よ」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=5-64hDKchnA


新宿西口「広場」の反戦デモ等で歌われ、熱狂的な支持を得る。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=d-9Ciu4ciqY



●岡林信康&『はっぴいえんど』の「私たちの望むものは」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=kjAI9V1G6bA


この(↑)の「中津川フォークジャンボリー」のメインステージは岡林信康が演奏していたが、その脇にある「サブステージ」に吉田拓郎が初出演し、「人間なんて」という一曲を延々2時間に渡り「叫び続け」、メインステージの客をサブステージに引き込む。

この頃、吉田拓郎は岡林信康にかなりライバル意識を持っていて、「私は狂っている」という歌の中で「岡林信康の歌をどう思う?」と歌ったり、ライブでは「はっぴいえんどほどいい音を出せないミニバンドをひきつれています」等と発言している。



●部落問題を背景にした歌も歌っている。「チューリップのアップリケ」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=Pw4uN52SytE


「フォークは反戦歌、反体制」というフレーズをいいにしろ、悪いにしろ、広めたのは、この岡林信康の存在が大きい。





■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●森山良子「この広い野原いっぱい」(1967年)

ご存じ、森山直太朗のお母さんにして、日本フォークの「ジョーン・バエズ」と呼ばれた女性フォークシンガーの先駆者だ。

平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。平成20年秋紫綬褒章受章。

「かまやつひろし」とは従兄弟関係にある。



澄み切って伸びる高音が美しい。


●森山良子「この広い野原いっぱい」(デビュー曲)
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=NImP10RNk9g



●反戦歌にして叙情的な「さとうきび畑」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=zZ7Pr-ATHjk


「ざわざわざわ~~♪」

この歌をモチーフにしたテレビ番組「さとうきび畑」(明石家さんま主演)は感動の名作だった。



●「涙そうそう」 BGINとの合作。
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=bXho3NK2CDw




●「今日の日はさようなら」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=LQwbNrI0UVM

この曲は僕が中学2年の音楽の時代にクラス全員で合唱した。

バス遠足の中でも歌ったな。




●「歌ってよ夕陽の歌を」
   ↓
http://www.youtube.com/watch?v=1yoJrDtTELs

吉田拓郎作曲、岡本おさみ作詞の名曲。



この森山良子がいなかったら、ユーミンも中島みゆきもいなったかもしれない、というぐらいの存在です。



■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」

1965年、当時大学生の加藤和彦の雑誌「MEN'S CLUB」での呼びかけに応じ、北山修が妹の自転車で加藤を訪ねる。

その後、平沼義男、浪人生の井村幹生、芦田雅喜が加わって5人で結成され、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトから「ザ・フォーク・クルセイダーズ」と名乗る。

その後、受験勉強のため井村と芦田が脱退、3人組となる。

その後芦田が復帰、再び4人組で活動するが、芦田が2度目の脱退をし、またも三人組になり、関西アンダーグラウンドシーンで活動していた。

1967年の解散を記念して、製作費23万円で[1]自主制作盤のアルバム『ハレンチ』を制作。

300枚しか制作できなかったこのアルバムの中に、自作の「帰って来たヨッパライ」と、アマチュア時代から歌い続けてきた「イムジン河」が含まれていた。

プロデビューに当たっては、平沼らに代わって「はしだのりひこ」が参加する。


フォークソングをいっきに一般市民に浸透させたのが、このザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」だ。

解散を記念した作られたこの曲が、ラジオの深夜放送から火がつき、いっきに日本列島を駆け巡る。

僕も小学校からの帰り道に「おらは死んじまったダ~~~♪」とよく歌っていた。

この曲はオリコンで史上初のミリオンヒットになる。


ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=q74_DZWxxSI


この早送りの甲高い歌が、日本人に「なんて、歌なんだ!」と思ったもんだ。

日本レコード大賞の特別賞までもらった。


解散が決まっていたザ・フォーク・クルセダーズが、この曲の大ヒットにより、メジャーデビューし、数々の名曲を世に出す。


●『あの素晴しい愛をもう一度』
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=gY4G_G2pyRo


加藤和彦の懐かしい姿。
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=QU37WHOkSPc


多くの歌手によるカバーがある。

誰もが知っている青春のほろ苦さをたたえた不朽の名作だ。

僕の高校3年生の時のクラスの応援歌として教室でよく全員で歌った。



●『悲しくてやりきれない』
     ↓
http://www.youtube.com/watch?v=hfzxpHnIRis


のちの吉田拓郎の名作「どうしてこんなに悲しいんだろう」につながる哀愁の名作だ。



ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーの「北山修」は今は精神科医になっている。

加藤和彦は自殺をし(2009年10月17日)、衝撃を僕たちに残した。

その他にこのザ・フォーク・クルセダーズからは、「はしだのりひこ」が「はしだのりひことシューベルツ」としてデビューし、『風』を大ヒットさせる。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=4UaiSsD6ByM

さらに、はしだは、「はしだのりひことクライマックス」を結成し、『花嫁』をヒットさせる。
    ↓
http://www.youtube.com/watch?v=xHnDiCxPEa0



このザ・フォーク・クルセダーズの頃から「関西フォーク」という言葉が使われ始めた。




■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作

日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●小室等と六文銭「雨が空から降れば」「出発の歌」

小室等。

日本のフォーク界の重鎮にして良心。


六文銭

初期:主なメンバーに、 岩沢幸矢、石川鷹彦、入川捷、小室のり子がいた。

バンド名は「四谷3丁目で目に付いた居酒屋の名」を採ったと岩沢幸矢が書いている。

その後、別役実の芝居などに楽団「六文銭」として参加。

この時期には歌手・役者など様々なメンバーが出入りしたという。

中川五郎とのカップリングのインディーズアルバム『六文銭/中川五郎』でURCからデビュー。

最盛期:主なメンバーに、及川恒平、四角佳子、原茂、橋本良一がいた。

『キングサーモンのいる島』をベルウッドレコードからリリース。

『サーカスゲーム』や上條恒彦と六文銭が歌った『出発の歌』(たびだちのうた)がヒットした。その1年後に解散。



四角佳子は吉田拓郎の一人目の奥さん。

吉田拓郎が四角佳子と結婚する時に作った歌が「結婚しようよ」。

のちに吉田拓郎、泉谷しげる、井上陽水らと小室等はレコード会社「フォーライフ」を設立し、初代社長になる。

小室等は拓郎とお酒を飲むと、最後はいつも「じゃ、拓郎、なんで戦争はあるんだ!?」と、戦争の話しになると、拓郎がラジオで愚痴っていた。



小室等と六文銭の代表曲。

●「雨が空から降れば」(1971年)
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http://www.youtube.com/watch?v=bF0R6SBG174

シナリオ作家の別役実の詩に小室等が曲をつけた、フォーク史上に残る名作だ。



●上條恒彦と六文銭『出発の歌』(1971年)
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http://www.youtube.com/watch?v=UZiRcFX8ezU


ヤマハ音楽振興会主催の「合歓ポピュラーフェスティバル'71」でグランプリを受賞した。
一般の人の間にフォークソングというジャンルが知られる前に、一躍、最前線に出た曲だ。
男性シャツのCM等にも使われた。



●小室等の名作「いま生きているということ」
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http://www.youtube.com/watch?v=bkFz3tjUuDs


詩人、谷川俊太郎の詩に小室等が曲をつけた。
僕は、何度も、この曲に命を救われた。

谷川俊太郎との合作は他にも「お早うの朝」がある。


●「お早うの朝」
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http://www.youtube.com/watch?v=_tO9hK6ucEk


●他の歌手に提供した曲の中にも名作がある。

『俺たちの朝』(松崎しげる)
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http://www.youtube.com/watch?v=LW8iPIs9Wyg




■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作

日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●遠藤賢司の「カレーライス」「満足できるかな?」「夜汽車のブルース」

遠藤賢司。

ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に触発され、自身も歌とギターを始め、1960年代後半のフォークシーンで頭角を現すようになる。

高田渡、南正人らと東京でアマチュアシンガーとして交流。

1968年8月、京都・山崎の宝寺で開催された「第3回フォークキャンプ」に初めて参加し、高石ともや、五つの赤い風船、加川良、ザ・フォーク・クルセダーズ、関西フォークの人々と知り合う。


カレーライスが好きで、渋谷に自分でカレーライスのお店も出していた。

また猫も大好きで、自分が飼っている猫に「寝図美」(ねずみ)という名前をつけている。


浦沢直樹『20世紀少年』の主人公の名前(遠藤健児)はこのフォークシンガーの名前からつけたと、僕は密かに勝手に思っている。


僕が初めて聴いた遠藤賢司の曲は従兄弟がLPから聞かせてくれた名作「カレーライス」(1970年)だ。

http://www.youtube.com/watch?v=ofvwA6yLVVg

この曲の詩に出てくる「お腹を切った人」は、そう、三島由紀夫だ。



こういう「四畳半」的フォークソングを歌うと同時に、ロック調の「夜汽車のブルース」やハチャメチャな「満足できるかな?」も歌っている。



「夜汽車のブルース」

http://www.youtube.com/watch?v=zcu1o3ynyIg



「満足できるかな?」

http://www.youtube.com/watch?v=ZmGY0iALn1A


こういうパワフルま歌も僕は大好きだ。


そして、僕が一番好きなのが「踊ろうよベイビー」

http://www.youtube.com/watch?v=4kzdm-JrzcQ



きみも僕と一緒に踊ろないか?


まだまだ一部の人にしか支持を得ていなかったフォークソングの時代の隠れた名作が多い遠藤賢司だ。




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日本のフォークソングの歴史●高石ともや「受験生ブルース」1968年3月

1965年頃からラジオの深夜放送が盛んになってくる。

そんな深夜放送はフォークソングの貴重な情報源となる。

この深夜放送で火がついたのが高石ともやの「受験生ブルース」。

笑えるし、ペーソスに満ちた歌になっている。

http://www.youtube.com/watch?v=vsmam4anbJw


高石ともやはその後「ザ・ナターシャー・セブン」を結成。

この名前は自分が転居した福井県遠敷郡名田庄村(現在の大飯郡おおい町)に由来する。

マラソンなどにも参加して、健康的なフォークシンガーである。



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日本のフォークソングの歴史●マイク真木の「バラが咲いた」から五つの赤い風船の「遠い世界に」まで

●僕(1960年生まれ)の記憶の中で一番最初に「フォークソング」として残っているのが「マイク真木」の「バラが咲いた」だ(1966年)。

http://www.youtube.com/watch?v=hNHlyGgcpdM

「バラが咲いた」はひたすら「バラが咲いた」ことを唄う。

何のメッセージ性もなく、ほのぼのした平和な歌だ。




●僕のリアルの記憶には無いけれど、のちに知ったこととして、 雪村いづみの「花はどこへ行った」というアメリカのフォークソングのカバーを出していた。
1963年。ビートルズが来日した年だ。(YouTubeには残念ながら雪村いづみの曲は無かった。)

http://www.youtube.com/watch?v=KqrI0igP6oI




●1966年、「五つの赤い風船」が活動開始。「関西フォーク」のはしりだ。

リーダーの西岡たかしの曲の間の「しゃべり」が絶妙で笑わせるライブをやっていた。

代表作は「遠い世界に」。

これは今では中学校の音楽の教科書にのっている。

http://www.youtube.com/watch?v=6hCoQwRrzHM



「五つの赤い風船」はメッセージソング、反戦歌も多い。

「血まみれの鳩」

http://www.youtube.com/watch?v=JelusdJd3Qo



「まぼろしのつばさと共に」も反戦歌だ。

http://www.youtube.com/watch?v=Yu4NXY3ynng



若者への応援歌もある「これがボクらの道なのか」

http://www.youtube.com/watch?v=345EoyA2ptc




■■日本のフォークソングの歴史、日本のフォークソングの名曲、昭和のフォーク、日本のフォークソングの名作■■
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