日本のフォークソングの歴史●マイク真木の「バラが咲いた」から五つの赤い風船の「遠い世界に」まで
●僕(1960年生まれ)の記憶の中で一番最初に「フォークソング」として残っているのが「マイク真木」の「バラが咲いた」だ(1966年)。
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http://www.youtube.com/watch?v=hNHlyGgcpdM
「バラが咲いた」はひたすら「バラが咲いた」ことを唄う。
何のメッセージ性もなく、ほのぼのした平和な歌だ。
●僕のリアルの記憶には無いけれど、のちに知ったこととして、 雪村いづみの「花はどこへ行った」というアメリカのフォークソングのカバーを出していた。
1963年。ビートルズが来日した年だ。(YouTubeには残念ながら雪村いづみの曲は無かった。)
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http://www.youtube.com/watch?v=KqrI0igP6oI
●1966年、「五つの赤い風船」が活動開始。「関西フォーク」のはしりだ。
リーダーの西岡たかしの曲の間の「しゃべり」が絶妙で笑わせるライブをやっていた。
代表作は「遠い世界に」。
これは今では中学校の音楽の教科書にのっている。
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http://www.youtube.com/watch?v=6hCoQwRrzHM
「五つの赤い風船」はメッセージソング、反戦歌も多い。
「血まみれの鳩」
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http://www.youtube.com/watch?v=JelusdJd3Qo
「まぼろしのつばさと共に」も反戦歌だ。
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http://www.youtube.com/watch?v=Yu4NXY3ynng
若者への応援歌もある「これがボクらの道なのか」
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http://www.youtube.com/watch?v=345EoyA2ptc
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日本のフォークソングの歴史●高石ともや「受験生ブルース」1968年3月
1965年頃からラジオの深夜放送が盛んになってくる。
そんな深夜放送はフォークソングの貴重な情報源となる。
この深夜放送で火がついたのが高石ともやの「受験生ブルース」。
笑えるし、ペーソスに満ちた歌になっている。
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http://www.youtube.com/watch?v=vsmam4anbJw
高石ともやはその後「ザ・ナターシャー・セブン」を結成。
この名前は自分が転居した福井県遠敷郡名田庄村(現在の大飯郡おおい町)に由来する。
マラソンなどにも参加して、健康的なフォークシンガーである。
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日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●遠藤賢司の「カレーライス」「満足できるかな?」「夜汽車のブルース」
遠藤賢司。
ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」に触発され、自身も歌とギターを始め、1960年代後半のフォークシーンで頭角を現すようになる。
高田渡、南正人らと東京でアマチュアシンガーとして交流。
1968年8月、京都・山崎の宝寺で開催された「第3回フォークキャンプ」に初めて参加し、高石ともや、五つの赤い風船、加川良、ザ・フォーク・クルセダーズ、関西フォークの人々と知り合う。
カレーライスが好きで、渋谷に自分でカレーライスのお店も出していた。
また猫も大好きで、自分が飼っている猫に「寝図美」(ねずみ)という名前をつけている。
浦沢直樹『20世紀少年』の主人公の名前(遠藤健児)はこのフォークシンガーの名前からつけたと、僕は密かに勝手に思っている。
僕が初めて聴いた遠藤賢司の曲は従兄弟がLPから聞かせてくれた名作「カレーライス」(1970年)だ。
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http://www.youtube.com/watch?v=ofvwA6yLVVg
この曲の詩に出てくる「お腹を切った人」は、そう、三島由紀夫だ。
こういう「四畳半」的フォークソングを歌うと同時に、ロック調の「夜汽車のブルース」やハチャメチャな「満足できるかな?」も歌っている。
「夜汽車のブルース」
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http://www.youtube.com/watch?v=zcu1o3ynyIg
「満足できるかな?」
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http://www.youtube.com/watch?v=ZmGY0iALn1A
こういうパワフルま歌も僕は大好きだ。
そして、僕が一番好きなのが「踊ろうよベイビー」
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http://www.youtube.com/watch?v=4kzdm-JrzcQ
きみも僕と一緒に踊ろないか?
まだまだ一部の人にしか支持を得ていなかったフォークソングの時代の隠れた名作が多い遠藤賢司だ。
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日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」
1965年、当時大学生の加藤和彦の雑誌「MEN'S CLUB」での呼びかけに応じ、北山修が妹の自転車で加藤を訪ねる。
その後、平沼義男、浪人生の井村幹生、芦田雅喜が加わって5人で結成され、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトから「ザ・フォーク・クルセイダーズ」と名乗る。
その後、受験勉強のため井村と芦田が脱退、3人組となる。
その後芦田が復帰、再び4人組で活動するが、芦田が2度目の脱退をし、またも三人組になり、関西アンダーグラウンドシーンで活動していた。
1967年の解散を記念して、製作費23万円で[1]自主制作盤のアルバム『ハレンチ』を制作。
300枚しか制作できなかったこのアルバムの中に、自作の「帰って来たヨッパライ」と、アマチュア時代から歌い続けてきた「イムジン河」が含まれていた。
プロデビューに当たっては、平沼らに代わって「はしだのりひこ」が参加する。
フォークソングをいっきに一般市民に浸透させたのが、このザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」だ。
解散を記念した作られたこの曲が、ラジオの深夜放送から火がつき、いっきに日本列島を駆け巡る。
僕も小学校からの帰り道に「おらは死んじまったダ~~~♪」とよく歌っていた。
この曲はオリコンで史上初のミリオンヒットになる。
ザ・フォーク・クルセダーズ「帰ってきたヨッパライ」
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http://www.youtube.com/watch?v=q74_DZWxxSI
この早送りの甲高い歌が、日本人に「なんて、歌なんだ!」と思ったもんだ。
日本レコード大賞の特別賞までもらった。
解散が決まっていたザ・フォーク・クルセダーズが、この曲の大ヒットにより、メジャーデビューし、数々の名曲を世に出す。
●『あの素晴しい愛をもう一度』
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http://www.youtube.com/watch?v=gY4G_G2pyRo
加藤和彦の懐かしい姿。
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http://www.youtube.com/watch?v=QU37WHOkSPc
多くの歌手によるカバーがある。
誰もが知っている青春のほろ苦さをたたえた不朽の名作だ。
僕の高校3年生の時のクラスの応援歌として教室でよく全員で歌った。
●『悲しくてやりきれない』
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http://www.youtube.com/watch?v=hfzxpHnIRis
のちの吉田拓郎の名作「どうしてこんなに悲しいんだろう」につながる哀愁の名作だ。
ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーの「北山修」は今は精神科医になっている。
加藤和彦は自殺をし(2009年10月17日)、衝撃を僕たちに残した。
その他にこのザ・フォーク・クルセダーズからは、「はしだのりひこ」が「はしだのりひことシューベルツ」としてデビューし、『風』を大ヒットさせる。
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http://www.youtube.com/watch?v=4UaiSsD6ByM
さらに、はしだは、「はしだのりひことクライマックス」を結成し、『花嫁』をヒットさせる。
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http://www.youtube.com/watch?v=xHnDiCxPEa0
このザ・フォーク・クルセダーズの頃から「関西フォーク」という言葉が使われ始めた。
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日本のフォークソングの歴史・昭和のフォーク●森山良子「この広い野原いっぱい」(1967年)
ご存じ、森山直太朗のお母さんにして、日本フォークの「ジョーン・バエズ」と呼ばれた女性フォークシンガーの先駆者だ。
平成18年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。平成20年秋紫綬褒章受章。
「かまやつひろし」とは従兄弟関係にある。
澄み切って伸びる高音が美しい。
●森山良子「この広い野原いっぱい」(デビュー曲)
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http://www.youtube.com/watch?v=NImP10RNk9g
●反戦歌にして叙情的な「さとうきび畑」
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http://www.youtube.com/watch?v=zZ7Pr-ATHjk
「ざわざわざわ~~♪」
この歌をモチーフにしたテレビ番組「さとうきび畑」(明石家さんま主演)は感動の名作だった。
●「涙そうそう」 BGINとの合作。
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http://www.youtube.com/watch?v=bXho3NK2CDw
●「今日の日はさようなら」
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http://www.youtube.com/watch?v=LQwbNrI0UVM
この曲は僕が中学2年の音楽の時代にクラス全員で合唱した。
バス遠足の中でも歌ったな。
●「歌ってよ夕陽の歌を」
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http://www.youtube.com/watch?v=1yoJrDtTELs
吉田拓郎作曲、岡本おさみ作詞の名曲。
この森山良子がいなかったら、ユーミンも中島みゆきもいなったかもしれない、というぐらいの存在です。
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日本のフォークソングの歴史・フォークソングの名曲、昭和のフォーク●岡林信康「友よ」(1967年)
岡林信康は「フォークの神様」の愛称で知られる。
高石ともやに出会いギターを始める。
この岡林信康の登場で、日本のフォーク界は急激に「反戦」「反体制」につき進む。
1968年、京都で行われた第3回フォークキャンプに参加。
同年9月、山谷に住む日雇い労働者を題材とした「山谷ブルース」でビクターよりレコードデビュー。
翌年までに、「友よ」「手紙」「チューリップのアップリケ」「くそくらえ節」「がいこつの歌」など、名作・問題作を発表。
その内容から、多くの曲が放送禁止となる。
一世を風靡し、「フォークの神様」と言われたが、労音との軋轢や周囲が押しつけてくるイメージと本人の志向のギャップ(同時期、岡林はすでに直接的なプロテストソングに行き詰まりを感じており、ロックへの転向を模索していた)などにより1969年9月、3ヶ月余りのスケジュールを残したまま一時蒸発。
書き置きは『下痢を治しに行ってきます」。
1970年4月、コンサートに再登場、「ごめんやす。出戻りです。お互い堅くならんといきましょう」と話した。
この時期からボブ・ディランに影響を受けたロックを、当時無名だった伝説のフォーク・ロックバンド『はっぴいえんど』(細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂)をバックに展開し始める。
「それで自由になったのかい」「私たちの望むものは」「自由への長い旅」などの作品を発表、喝采を浴びて東京に移り住み、一夫一婦制ナンセンスを唱えて自由なヒッピー風生活をするが行き詰る。
1971年の日比谷野外音楽堂での「自作自演コンサート 狂い咲き」および、「第3回中津川フォークジャンボリー」を最後に、表舞台から再び姿を消す。
●学生集会で必ず歌われた「友よ」
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http://www.youtube.com/watch?v=5-64hDKchnA
新宿西口「広場」の反戦デモ等で歌われ、熱狂的な支持を得る。
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http://www.youtube.com/watch?v=d-9Ciu4ciqY
●岡林信康&『はっぴいえんど』の「私たちの望むものは」
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http://www.youtube.com/watch?v=kjAI9V1G6bA
この(↑)の「中津川フォークジャンボリー」のメインステージは岡林信康が演奏していたが、その脇にある「サブステージ」に吉田拓郎が初出演し、「人間なんて」という一曲を延々2時間に渡り「叫び続け」、メインステージの客をサブステージに引き込む。
この頃、吉田拓郎は岡林信康にかなりライバル意識を持っていて、「私は狂っている」という歌の中で「岡林信康の歌をどう思う?」と歌ったり、ライブでは「はっぴいえんどほどいい音を出せないミニバンドをひきつれています」等と発言している。
●部落問題を背景にした歌も歌っている。「チューリップのアップリケ」
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http://www.youtube.com/watch?v=Pw4uN52SytE
「フォークは反戦歌、反体制」というフレーズをいいにしろ、悪いにしろ、広めたのは、この岡林信康の存在が大きい。
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